自分がいつか必ず「死ぬ」って知ったとき絶望した経験は誰にでもあるはず。
いわゆる「不死」は人類の大きな夢だよね。
だけど、一度しかない命こそが素晴らしいという考え方も
やはりあるよね!
「100万回生きた猫」はそれを訴えていたりするよね!
中田さんのご家庭の話も面白いので上記はぜひ見ていただきたいのですが、「死」に関する初級編がこの絵本だとすると中級編あたりがこの書籍です(形而上学的な部分が日本版では省かれており読みやすくされているらしい)。
この書籍要約でわかる事
- 結局「死」とは何かの答えは出ない
- 本書で訴えている内容
- サラバトが考える「死」
今回の書籍
今回の書籍テーマは『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』です。
この書籍の最大のキーワードは「死」です。
読む前からある程度分かっていましたがその答えは出ません。しかし読む価値があります。
それをなぜか解説していきたいと思います。
興味のある方はぜひ、以下からご覧ください。
私が読んだのは上記ですが、「形而上学」部分という前半を含めた完全版は以下です。
かなり長いので、通常版をおすすめしますがどちらもkindleunlimitedで無料で読めます。
「死」とは何かの答えは出ない
「死の本質」とはなにかその疑問を語るつもりだと説明しているが、読み始める前からうすうす感じていることがありました。
真に「死の本質」というのはわからないのだろうということです。
こんなものが解明されたら何よりも大きなニュースになるでしょうからね。
筆者は冒頭で以下のように述べています。
私がこれから語るつもりなのは、主に、「死の本質」あるいは「死という現象にまつわる心理学的な疑問や社会学的な疑問」だ。
本文より
私は魂が存在しないことをみなさんに納得してもらおうとする。 不死は良いものではないことを納得してもらおうと試みる。 そして、死を恐れるのは、じつは死に対する適切な反応ではないことや、死は特別謎めいてはいないこと、自殺は特定の状況下では合理的にも道徳的にも正当化しうるかもしれないことも。
本文より
この書籍の中で論じているのは「魂が存在しない」や「不死は良いものではない」ということです。
しかし、これは筆者の考えであって絶対的なものではないことを知っておくべきです。
哲学書として読むべき
この書籍の中では「〇〇論では・・・」という論調で語られるケースが多いです。
死をどのような立場で見るかによって大きく変わることを意味しているからです。
要するに筆者は答えがないことを知っているのだと思います。
だから、哲学書として様々な考えがあることを知るために読むことをお勧めします。
その一例を以下では話します。
生存権を持っているのはだれか
以下は「身体説」と「人格説」という立場で考えたときにどちらが正しいのかを考える文面です。
ヒトは「生きる(生存)権利を持っている」というのは誰もが同意するところでしょうが、これはどちらの方が受け入れられるかです。
殺されない権利を持っているのは 誰、あるいは 何 なのか、だろう。生存権を持っているのは 私 なのか、それとも 私の身体 なのか(あるいは、ひょっとすると、そのような権利は二つあり、一方は私が、もう一方は私の身体が持っているのか)?
本文より
以下のような主張は受け入れられるでしょうか?
身体が作動し、それから壊れる。死とは、ただそれだけのこと
本文より
死はなぜ悪いのか
私は以下のような主張は受け入れやすかったです。
なぜ死は悪いのか? なぜなら、死んでしまったら、存在しなくなるからだ。そして、存在しないのは悪いとなぜ言えるのかと問えば、答えは、人生における良いことの数々が味わえなくなるから、だ。もし自分が存在しなければ、生きて存在してさえいれば得られるものが得られなくなる。死が悪いのは、人生における良いことを奪うからなのだ。
死のどこが悪いのかといえば、それは、死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。
本文より
幼くして死亡してしまうヒトには同情することがあるだろうと思います。
しかし、存在しなかったヒトには同情しない。生まれてこなかったヒトには同情してもきりがないとも論じている。その人数はは以下になってしまうからです。
存在可能であるだけの人間は三×一〇の三三乗人
本文より
死への覚悟
以下のように言われて納得できるでしょうか?
死は避けられないと気づいてその事実をしっかり頭に根づかせれば、死はそれほど悪くなくなるかもしれない。
本文より
「生まれてきたことに感謝して」とよく聞いたことがあると思うが本質的には理解できていませんでした。しかし、以下の説明は非常に納得性が高かったです。
アイスクリームを一つもらい、二つ目をもらえないシチュエーションに怒りますか?
二個目のアイスクリームをもらえないのを 知っている のだから、お代わりの欠乏を恐れるのは不適切だ。それならば、死ねば人生の「お代わり」にありつけないので、死そのものが悪くても、みなさんは人生がいずれ終わらざるをえないのを 知っている のだから、最終的に人生が欠如するのを恐れることもやはり不適切
本文より
命に対する正義とは何か
有名なトロッコ問題をご存じの方も多いだろう。
これも功利主義と義務論の違いと論じられるが、本書でも「一人を殺して臓器を取り出して、五人に与えれば助かる場合」を論じている。
同意があるならば人を害することが道徳的に正当化される。ただし、同意がなければ正当化されない
本書より
当初は自殺を論じる中で上記のように論じ、以下のように結論している。
義務論的理論を十分に発展させた観点(同意の重要性を考慮に入れた観点)に立つと、自殺はけっきょく道徳的には許されると言わざるをえない
本文より
総評(サラバトの考え)
改めてこの書籍を読んで私は以下のことが重要だと考えられました。
- 生まれてきたこと自体が信じられないほどの幸運だという再認識すること
- 死について考えたうえで今を生きることが重要だと再認識すること
- 死に対しての自分の立場を明確にして再認識すること
すべて再認識でした。しかし、ここで得たものもあります。
これほど長い時間かけて「死」について考えたことはないということでした。
この経験はこれから生きていくうえで間違いなく支えになるものではないかと思っています。
たいていの人は、どうしても死について考えたくない
本文より
しかし、希望があると信じられないほど今生きていることが幸運なのだと改めて書いています。
私たちがあまりに早く死んでしまう可能性が高いことはたしかに悲しみうるが、私たちがこれまで生きてきたのはまさに信じられないほど幸運であることに気づけば、その悲しみの感情は相殺されてしかるべきかもしれない。
本文より
興味のある方はぜひ、以下からご覧ください。
避けて通る人の多い「死」を意識するだけで日々の生活は変わるのではないでしょうか?
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